2010年10月30日土曜日

kuona ni kujua(百聞は一見に如かず(見ることは知ること))

前回のブログに書いたように、活動、バガモヨでの生活は徐々に動き始めてきました。
特に大きな活動の目安が立ったわけではないが、同僚の動き、意識が変わり始めた気がする。
先日、デスクで活動に関する資料を作成していると、五歳児以下の子供担当のムディがフラフラと俺の所に遊びに来て、ゴミについて話がしたいと言ってきた。
彼からこんな言葉が出ようとは・・・。
快く、日本とタンザニアのゴミ問題について話をしていたが、彼らは案の定、大きな間違った認識を持っていた。
日本は先進国で綺麗でゴミがない。俺たちはどうしたらいいんだ?タンザニアも日本の様に綺麗に出来るのか?
日本の過去、過程などの情報は全くと言って良いほど知らず、日本の過去で知っている事と言えば第二次世界大戦があった事くらいだった。
俺も協力隊に合格し研修などを通じて日本の過去のゴミ問題を深く知った。
そんな俺から見たタンザニアは半世紀前の日本に近いものがあると感じている。
白黒の画像の半世紀前の日本と今のタンザニア、言葉や文化の違いはあるものの、同じ人間。
その辿って行く道も似ていて当然なのかもしれない。

そこで、自分の持っている動画データで日本の経済発展に伴い公害が発生した過去を説明したデータを一緒に見ることにした。
内容は四日市喘息、イタイイタイ病、水俣病などを取り上げたデータで俺も久しぶりに映像を目にしたが鳥肌が立った。
映像を見た同僚は、工業排水や排ガスがこんなに人間に害をもたらすのか?と言った感じの事を言っていた。
それを見る目は真剣そのもので、一通り見た後にイタイイタイ病をもう一度見せてくれ!と、とても熱心だった。 予想以上に映像に対する反応があり驚いた。
その後、最近バガモヨに戻ってきた同僚ボニーに日本の公害問題について熱弁していた。
スワヒリ語と英語が交ざっていて理解しきれなかったが、所々の拾える単語で何となくそんな事を話しているのが分かった。

日本は確かに経済的にも豊かで、技術力もあり、インフラも当たり前に確立されているけど、そこに至るまでの先代の人たちの血のにじむような努力、また経済発展ばかり追い求めて環境に配慮が行き届かなかった為に起こってしまった公害などのマイナス面がある事をつたないスワヒリ語で説明した。
その後、公害について何でそんなに食いついたのか話を聞いてみると、バガモヨにも工場があるらしく、その害についての認識、認知がなかった為、工業排水が放置されているとの事。
その近隣の住民はその水を利用して生活している、直接住民が利用している川に流れていなっかたとしても、地下水、野菜などの植物、動物などから摂取している可能性は高いと思われる。
問題が深刻なだけに早急な対応が求められ、来週には同僚を集めてムディと二人で公害問題についてプロジェクターを使ってプレゼンをする事になった。(プロジェクターがあるのを昨日知った…。)今週末は土日返上で資料作り…。

この他には、会計課のピーター君が環境NGOを作らないか? と言って来たり…
ドイツで1年間、病院管理について学んで帰ってきたボニーと病院ゴミの管理、5S(整理、整頓、躾、清掃、清潔)について話をするなど、何故か少し違った方面から動きを見せ始めた。何故…、カウンターパートはどこ…?

それはさて置き、今後、バガモヨは間違いなく発展する。
その理由は、タンザニアの首都機能はダルエスサラームに残っており、ダルの港は最近の発展で手一杯になってきている。
そのダルの北に位置する小さな港町のバガモヨに新たに港を造り、道路を整備する話が出ている、そうなると必然的に人口も増え、ゴミも増える。
今のままのゴミ処理状況では10年後、確実に環境は保てなくなる、今以上にゴミは町に散乱する事になり、衛生環境は悪化するだろう。
その対策を考え、予防するのが県庁保健課環境部門の同僚たちと俺、彼らにこれらを理解してもらい、ごみ収集システムを考えること、コミュニティに対してゴミ分別・ゴミ削減に関する啓発活動をすることなどが求められる。
これを説明し、彼らの協力を得るための提案書を日々作成中。今現在で内容の薄いものもあるが10件提案書を書いているのでどれかはヒットするだろう。(して欲しい・・・。)
(公害問題と5Sについても書いておけば良かった・・・。涙)

予算もないし、語学力もそこまでない、出来ることは限られているけど、その中でも伝えれること、伝えるべき事を同僚と一緒に選んで何かしらのキッカケを作りたいと思う。
Haraka haraka haina baraka.(急いでも恵みは無い)を信じて焦らず進めていきます。


たまに、フと自分は何でタンザニアに居るんだろうと我に返る時がある。
昨日は晩御飯を近所の軽食屋(屋根と電気の無い屋台の様な食堂)で月明かりの下、合席になったマサイ族の人とご飯食をべながらバガモヨの女は危険だね、と話ていた時、フと我に返り自分が面白かった。

残り1年と5ヶ月、日本に居たとき以上に多くの挫折を感じさせられる毎日だが、色々な事に挑戦してみようと思う。
今日はこの辺りで。

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