2010年7月25日日曜日

Mpira wa miguu(soccer) 7月25日

木曜日からDarに上がり、環境教育部会の立ち上げKIKAO(会議)を行い、副部長に就任するはずが部長になってしまいました。
俺でいいんでしょうか・・・。
まぁ、他の部会よりも頼りない部長かもしれませんが
各個人の意見を尊重出来る(意見を必要とする?)いい部会にして行きたいと思います。
タンザニアの環境隊員は4名で、部会もまずはこの4人でスタートすることになりましたが、
それぞれの個性が違い本当に面白い!!!

予防接種の前日にこの4名で集まり夕食後8時30分ころから話し合いを始めて終わったのが結局23時30分・・・。
その後、色々とドミの資料をあさり、同期のJamboと話をしながら意識が飛んだのは2時前。
しかし、日頃の習慣は恐ろしい、5時頃に目が覚めて、モジモジ・・・

そうです、バガモヨ(我が家)の朝は鶏のフライング気味(しすぎ)のコケコッコー。早いときは3時30分・・・
そしてイスラム教の朝のお祈り5時10分頃に始まります。スピーカーが近いのか良く聞こえます。
出来ればスワヒリ語でお願いしたい・・・。
アラビア語のため全く意味が分からず朝5時頃からボーっとして朝が始まります。Pole

この日は疲れのせいもあったのか二度寝に成功し8時頃起床☆
その後朝食をとり同期と色々と話をしてムリマニ(お店)へ!
この日は壊れたデジカメの代替をSAMSUNGで220000TSH(15000円程度)で購入。
PEN○AXのタフデジカメを購入しましたが半年で故障し・・・
今までで買ったデジカメで一番タフではありませんでした。Pole

その他はケチャップ、洗濯ばさみ、少し質の高いノートなどを購入。
普段食べることの出来ないハンバーガーをほお張り大満足。
そしてオフィスにて予防接種。
その後バガモヨ(任地)に直ぐに戻りましたが
落ち着く落ち着く。
Darのダラダラと違い、バガモヨ行きのダラダラの中はとても快適(狭いですが)。
客層、景色、直線の一本道。最高です。
先輩とも話をしましたが、少し考え事をしたりボーっとするのにいい時間だよねって。

そして1日ぶりの我が家はいい!
タンザニアに来て早くも4ヶ月、我が家(バガモヨ)がHOMEになっていました。

そして以前ブログで紹介したJUMANNE君から電話があり、明日サッカーしよ!とのこと。
そして断る理由もなく、行ってきました。
赴任前のプレアサでして以来、2ヶ月ぶりでした。
始めはミニコートでシュートなしのパス回しのスペース作りの練習。
そしてチームコーチに呼ばれ、今から他のチームと交流戦するけどお前出るか?ポジションは?
日本では9番でFWやってました。(フットサルですが・・・)
そうか、ならセンターFWで行け! 
そして話しは進み、試合は始まり皆走る走る・・・
多分俺の体力が落ちてるだけなんでしょうが、結局シュート4本(ヘディング1)打ちましたが点は奪えず、1アシストのみ。 Pole

でもスポーツはいいなぁっと改めて思いました。
言葉が分かりきらない状態ですが、勝つ為かもしれませんが、彼らも一生懸命伝えようとしてくれる。声を張ってくれる。
それに答えようと走るとパスをくれて、徐々に信頼関係が出来てくるのがわかる。
言葉は完璧に通じなくても、カタコトの分かる単語と目と身振りを見れば何となく言わんとすることは分かる。

そして最後に監督が週6日やってるからバガに住んでるならいつでも来なさいって。
練習日程もノートに丁寧に書いてくれました。
そして朝は6時から砂浜で走りこんでるからいつでもおいでって。Asante
・・・健康を保ちながら出来る程度にして行きたいと思います。若いつもりで居ても29歳。ふぅ

筋肉痛は二日後に来るんだろうな・・・Pole
月曜日が怖い。
来週は泊り込みで村々に巡回予定ですが。
そういえば先週末一泊二日で村に行くって言ってた二人、オフィスで仕事してたっけ・・・
来週は村に行けないかもしれません、三泊四日・・・。
期待せずに準備をしようと思います。

2010年7月22日木曜日

mtu anayekusanya takataka(ゴミを集める人) 7月22日

日が経つのは早いものでもうタンザニアに来て4ヶ月が過ぎようとしています。

そして先日、後輩隊員がバガモヨに来ていました。
早くも先輩隊員・・・。頑張らねば。

そして先週末も行ってきました。
芸大(chuo cha sanaa)で行われたライブとMmoja(孤児院)。

そして今週の活動は現場。
以前からカウンターパートにお願いしていたゴミ収集の現場、現状はどうなのか知る為に誰か紹介してもらうはずが・・・。されず。

帰宅途中のいつもの道、前日古着屋で買ったジャージのチャックの直しをMshonaji(裁縫師)にお願いしていて、引き取りに行くと、小さな古びたリアカーが。
その脇に小さな御婆ちゃんが木陰で休んでいて。
Shikamoo! Marahaba!
いつもの何気ない挨拶。しかし次の瞬間御婆ちゃんは徐に立ち上がり
裁縫屋から出たゴミと布の切れ端をリアカーに移し始めた。
まさかと思い色々尋ねてみると、言うまでもなく彼女はゴミを収集する御婆ちゃんで
そして仕事始めは何処で、何時から何時まで、一回の回収で得られるお金、リアカーのレンタル料金の話などなど
そして本当に興味があるなら明日の朝7時か8時頃にsoko jpya(新しい市場)においでと言ってくれた。

そして翌日、いつもより早めに家を出て、市場へ向かうも御婆ちゃんとリアカーの姿もなく、一先ずオフィスに行きスワヒリ語の本を開いていると、他のスタッフより早くオフィスに居る俺にDHOのDrムセンギが気付き色々話をしてくれた。
バイク貸与に関する運送手段お相談や、村に行きたいが機会がない事、スワヒリ語の事など。
そして村に行きたいという俺に、今日明日の一泊二日か来週火曜日から金曜日までの3泊4日、本当の村落に泊まる様になるがそれでも行くかと言われ、明日は夕方からダルに上がるから来週行きたい!連れてってくれ!と答えた。
今回の巡回は範囲が広く140kmの移動でいくつもの村を4日かけて巡回するとの事。
三泊四日の村を巡る旅、Drムセンギとモハメッドと俺他にも誰か来るのかな?


そして、その後ゴミ収集の御婆ちゃんの話をし、市場へ向かった。

それでもまだ御婆ちゃんの姿はなく、いつもバナナとミカンを買っているおじさんのお店に勝手に居座り一緒に店番をし、野菜市場のおじさんたちにいつもの様に変な日本語攻めにあいながら日本語を教えて・・・と、そうこうしていると昨日の御婆ちゃんではないがリアカーにゴミを積む御婆ちゃんととオバちゃんの二人組みを発見。
昨日の御婆ちゃんの話では後二人仲間が居ると言ってたのを思い出し、話かけてみると、その二人で間違いなかった。
彼女たちの仕事は朝7時から16時まで、朝一番は市場から出るゴミ収集、次に家々を回ったり、商店から出るゴミを回収しているとのこと。
ゴミを回収する人は県庁に配属されている人とそうでない人に分類される。
彼女たちは後者で、収入は安定しておらず完全歩合制で一回のゴミ回収に対し店主や顧客が妥当と思う金額を支払うという何ともアフリカらしいスタイル。。。自由です。
前者は県庁から月々10万シル~12万シルという定額を支払われ、県庁に勤務する人が多く住む、住宅街のゴミを主に収集しているとの事。
同じ作業なのに凄い差。多分、倍近い収入の差。

そして少量のゴミであれば100シル、少し多ければ200~300シル、家の庭掃除、ゴミ収集で500シルから1000シル。(今日見た限りでは)
そしてリアカーは借り物で、一日の使用料金は1000シル。

ちなみに1500シルで日本円の約100円。
以前はもっと同僚が居たが皆辞めてしまったそうだ。

一日にゴミを集め、ゴミ山へ運んでといった流れを繰り返し、得られるお金は3000シル程度。日本円で約200円。それが現実。厳しい。

しかし、今日一日だけでも改善点は見つかった。
それを顧客側の人たちが良しとしてくれるかは別としてだが。
彼らの協力なしにはこの仕組みは成立しない。効率化は図れない。
まずは野菜市場の仲のいいおじさん達から指導していくようになるとは思うが、どう説得していくか・・・。

そして言うまでもなく、おばあちゃんとリアカーを押してゴミを回収して回る日本人は多くの人から注目され、「とし~!」と声を掛けてくれる友達もいれば、「Mchina(中国人)!」と馬鹿にする人も居れば、俺を指差して笑う人もいた。「掃除したいのか?」ってホウキを持ってくる人もいた。

ただ、まだ何かを変えていけるとは思わないが、まずは俺を通してゴミについて考えるきっかけを作っていこうと思う。

今日一番嬉しかったのは御婆ちゃんに「Ninakupennda sana!(私はあなたが大好きだよ!)」
って何度も言ってくれた事。
俺も負けずに、「Ninakupenda sana kuliko wewe!(俺もおばあちゃんの事が大好きだよ、あなたよりもね!)」
ってやりとりをしながら笑い合えた事。
まだまだ分からない単語だらけで理解できたことは話の4割5割程度なんだと思う。
でも一緒に同じものを見て考えれば言葉はそこまで必要ではなかった。今回の場合は。

来週は本当に村に行けるのかな?ポレポレな(のんびりした)国なので、話半分で聞いておかないとね・・・。

2010年7月14日水曜日

Mnukio(香り) 7月14日

週末土曜日はムベガニ(バガモヨ)で(海老)バーベキューをし
日曜日は朝から孤児陰の子供たちと畑仕事?をし
この日は特別にNGOの友達が企画した昼食会を海辺で一緒に食べ、日本のゲーム(だるまさんが転んだ!椅子取りゲームなど)をみんなで楽しみ一汗かいた後は海水浴!
海辺での食事と言うことで仕込んでおりました!キテンゲ(東アフリカの特徴的なデザインの布)で縫ってもらった大き目のパンツの下に、海水パンツ♪
29歳、独身・・・、納得できるような。(いや、いくつになっても子供心は大切にしたいだけです。)
そしてNGOの友達も仕込んでおりました!
30代半ば、独身(タンザニア人にしてはかなりの晩婚、珍しい!・・・同類?)
そしてイザ入水!
最近夜は涼しくなったとはいえ、バガモヨは暑い!
標高の高い内陸部の町では想像できないかな?

暫く様子を見ていると水をかけ合ってるだけ?以外にも皆泳げない?
波打ち際で遊ぶ子供に泳げるの?って聞くと
泳げないよ!教えて~!
って、いきなり水泳教室をすることに・・・。
まずは浮くところからスタートし平泳ぎまで教えましたがちゃんと覚えてくれたのかな?


そして新しい一週間が始まり・・・


海のある町、バガモヨ! 最近発展している町、バガモヨ!
まだまだ足りないもの、手に入らないものは多いけど、今日は面白いものを発見しました。
それはお香!日本にもあるようなパッケージに縦長の棒状の物!

最近疲れ気味だったので、あまりウロウロ出来てませんでしたが今日は何故か元気♪
ならブラブラするしかないでしょう!
と思い色々なお店を覗きながら帰っていると、近所の古着屋がまた服を仕入れたようで物色しているといい香りが・・・。
お香たいてんじゃん!?
そして俺は服ではなく
お香を持ってお兄ちゃんの所に行き、「どこで買ったの?バガモヨ?」って聞くと
「直ぐ裏手のお店だよ!」って。
そんな店あったっけ・・・

結局古着屋のお兄ちゃんがその店に連れて行ってくれて
早速聞いてみると、出て来ました!お店でたかれてたのと同じやつ!
Soko jpya(新しい市場)の裏手にあるスパイスを売っているお店の片隅に!
誰もこんな所でお香が売られているとは気付かないでしょう・・・。

そして色々と香りを嗅がせてもらい、二つ買うことに。
そこでいつも通り、これいくら?って聞くと
「Mbuku!」 
「Mbuku って何だ?」
何度も聞きなおす俺に彼は
「Elfu moja!(千円だよ!)」
あまり使われていないようですが「Mbuku」=「Elfu moja」の様です。
また「Mia tano(五百円)」=「Jero」
とのこと。
結局、今日は「Mbuku na jero」分の買い物をしました。

音楽も大切ですが、いい香りも大切ですね!早速一本たきましたが凄い癒されました。
今週も後三日、いい香りに癒されながら頑張ろう!

2010年7月10日土曜日

KIPINDUPINDU(コレラ) 7月10日

日本の七夕と同じ日
タンザニアでSABASABA(7月7日)と言われる祝日にダルエスサラームで行われたイベントに行ってきました。

イメージしていたイベントとは違い、プラスチック製品が目についたのは僕だけでしょうか・・・
大きなタライを抱えた人、ポリバケツを抱えた人を多く見かけました。
他でも買えるだろうに・・・。

中には、そのバケツに他の荷物を詰め込んで頭に乗せて運んでいる女性も。アフリカですね。結局この日買ったものは、ワインとジャムとコロショ(豆)、小さな鏡、ビーズアクセサリーとコースターでした。

そして偶然にも大統領と遭遇!
一軒の建物の周りに凄い人だかり?と思い少し様子を見ている、黒塗りの車が数台到着、スーツにサングラスのごついお兄ちゃん数人に囲まれて手を振りながら出てくるおじさん・・・、見たことある・・・、RAIS(大統領)だ~!
イベントに来るとは聞いていましたが、まさかこんなに近くで見れるとは。
Nilipokuwa bahati nzuri!(運が良かった!)




そして、最近私の任地のバガモヨ郊外でKIPINDUPINDU(コレラ)が発生。
現在だけで10名が発病中!(子供と年配の人だけでした。)
コレラは多くの場合、腐敗したゴミなどから発生し、トイレ(し尿、糞など)、畑、河川や池を中心に感染が拡大していく危険な病気。
しかし健康体の成人であれば、菌が胃に入っている時点で胃酸により死滅させることが可能とされていて
これが出来ない、病気に負けてしまうのは
まだ抵抗力の無い子供、少し元気のない年配の人。
その結果、脱水症状、栄養を十分に体に蓄えることが出来ず衰弱し、最悪の場合死に至る病気。

最近は現場に行っては驚かされることばかりで・・・
バガモヨの病院でも感染症のある疑いのある人も、別の患者と同じ病室(吹き抜けです)。
年中暑い為か窓にガラスは無く、網戸のみ・・・
空調設備を整えたところで電気の需要と供給のバランスが取れない分、仕方がないのかな。

バガモヨの街中の病院がそんな状況なのに
そこからさらに村落部に入って、これ以上の設備の病院があるわけも無く。
そして患者が運び込まれるべき病院、病室すらなく。
患者が運び込まれていた場所は
木の枝を組んで、壁の部分に石をいれ、その隙間に土を埋め込んで作った小屋、それが病室。
そして壁のほとんどは土が無くなっていて、枝と枝の中に積み上げられた石がむき出しの状態で、床は赤土でひび割れてごつごつとしていた。
そんな壁の隙間から入る光は小屋の中の舞い上がる埃を鮮明に映し出していた。
そんな小屋に無造作に置かれたマットレスとゴザの上に患者と思われる子供と老人が横になり点滴を打たれていた。
蚊帳が用意されているのは幸いではあるがその四隅を結んでいるのは紐ではなくパンの入っていたナイロン袋で枝と蚊帳を結んでいた。

予想以上の酷い状況に何も言えなかった。

それを見ていた同僚の一人が「とし、今日はカメラは持ってないのか?写真は撮らないのか?日本に帰った時、俺はここに居たんだって話が出来るなぁ!」と言った感じの事を嫌味を交えて言ってきた。
完全に言葉を理解できているわけではないので違っているかもしれないが、この同僚は最近よく突っかかってくる。ムシムシ!
ただ、この同僚は誰よりも現場を大切にしていると俺は思っている。
その証拠に、彼はこの日一人だけツナギを着て来ていた。
職場に居る時も、彼は多くの場合作業着で仕事をしている。いつでも現場で作業がし易い様に。(と考えているんだろうと思っています。)
他の同僚はスーツにネクタイ綺麗な革靴、カンガの鮮やかな服の上に白衣を羽織作業をしていた。

俺はと言うと・・・
クールビズスタイルにバックパック。白衣は支給されず・・・。(どっちつかず?)
今は言葉も上手く話せないので上手くコミュ二ケーションが取れていない事もあり行き違いがあるのかな?と思うので今は我慢我慢、いつか現場を中心に考える彼に認められるように頑張ります。
今は、それを無視して他の同僚とゴム手袋をはめて医療廃棄物を運び出し油をかけて、それを燃やした。

今自分たちに出来ることは、感染の拡大を防ぐこと!と言うことで
同僚たちと村にある全てのトイレを巡回し、そのトイレの世帯主を記載、トイレのフタの設置を促し、家の周りにあまりにも無造作にゴミが捨てられていると注意し、後日改めて巡回に来る旨を伝えて回った。
俺はほぼHabari za muchana?と Shikamoo?(こんにちは)としか言ってなかったような・・・

そしてメガホンを持って再度、村を巡回!
「コレラが発生しました!」
「水は煮沸して飲むように!」
「食事の前は手を洗いましょう!」
と言ったアナウンスをして回った。俺もやりました。
そして何故かうけてる?
「間違えたか?」
って聞くと、そうでもない・・・?
ただ、肌の白い人間がスワヒリ語で注意を呼びかけて回ってるのが面白かったみたい。
俺は隣で同僚が教えてくれてるスワヒリ語を繰り返してただけなんですが。
そんな俺の周りには村の子供が集まってました。
「Mzungu?Shikamoo!」 (肌の白い人/ヨーロッパ人、こんにちは!)
「Mjapani!Marahaba~♪」 (日本人だよ!こんにちは!)
ってやり取りも何度したことか。

とりあえず今出来ること、二次感染の予防に努めましたが
彼らがその意図を理解しているかは定かではなく。
これでは駄目な気が、少し考えなければ・・・

今日はこの辺りで。

2010年7月5日月曜日

100日経過 (7月5日)

久しぶりのブログ更新になりますが、相変わらず元気にしています。
日が経つのは早いもので3月23日にタンザニアは行ってから今日で105日になるのかな?
早くも人気の8分の1が経過してしまいました。2年間なんてあっと言う間なんだろうなぁ。

最近はバガモヨ同期隊員の八木姉さんとご飯食べたり、バガモヨのChuo cha sanaa(芸術大学)で行われたイベントに友達と観に行ったり、孤児院Moyo Mmojaに二度目の訪問をさせていただくなど内容の濃い週末(一週間)でした。

バガモヨはタンザニアの中でも芸術の町で有名みたいで、確かに町のあちこちで音楽活動しているグループ、絵を書いている人、木彫りの芸術作品を作成する人と様々いて面白い。

昨日の芸大でのイベントはタンザニアに来て始めて参加する大きなイベントでとても楽しい時間を過ごすことができました。
もちろん、MCや歌詞、劇に使われる言語はスワヒリ語か英語・・・
なんとなくの解釈(妄想)で楽しみました。
そして、最近知り合ったアメリカのニュージャージーからのボランティアと交わす言葉はスワヒリ語・・・(お互いカタコト・・・)
英語も理解できる部分も少しはありますが、返事に浮かんでくる言葉はスワヒリ語で・・・
それを理解してくれた彼はスワヒリ語で話をしてくれるように!Asante sana!
後ろでそれを聞いていた先輩隊員は
「トシ君、彼と今何語で話してるの?」
「スワヒリ語です。英語は話せないと伝えたら、彼は頑張ってスワヒリ語で色々話をしてくれて。」
「Safi sana!(いいね~!)」
と、褒められましたが、本当に英語を勉強してなかったので喋れないだけなんですが・・・
(少しずつ英語も憶えていこうと思います。)

そして肝心のパフォーマンスは最高で
ライブバンド、ダンスグループ、寸劇グループ、肉体パフォーマンス系、曲芸とジャンルも広く、本当に自由なステージで、音響ミスによる音楽のない、音楽が間違えているであろうと思われるパフォーマンスなど。笑
何でもありです。本当に自由でマイペースで面白い国だなぁと思いました。

音楽は日本で聴いていたものとは全く違った楽器、空気感を持っているグループもいくつかあり、不思議な感動をいくつも経験させていただきました。

そして、その人たちと音楽活動をしようとする友達もいて、今日その凄いステージをやってのけた人たちの中で色々と話をさせて(聞かせて)いただき(スワヒリ語で)、まるでテレビを観ているかのようで・・・
交渉もあっさり成立し、9月の芸大でのイベントにボーカルとして出演することが決定し・・・

凄すぎる・・・
でも、とてもいい刺激をいただきました♪
Asante sana!

孤児院Moyo Mmoja
では、子供たちと茄子を収穫し、大きさを測り、ノートに記入後、皆で料理をしました。
と言っても、
切る!
塩ゆでする!
食べる!
Simple is BEST!

でも美味しかったです♪
子供たちも種から植えて、水、肥料を与え、自分で作り、食べる。
当たり前の流れですが、何かを学んでくれていればいいんですが・・・

そして、一緒に「だるまさんが転んだ」と「トランプ」などをして遊び、交流を持ちました。
まだまだ分からない単語は多いけど、何と成るもんですね♪(成ってないかも・・・、汗)
(ほぼ、同行させていただいていた、まさよさん http://www.barzile.com/ におんぶに抱っこ状態です。)

俺も語学、活動、生活など頑張っていこうと思います。


活動は、特に大きな進展は無く、
魚市場のゴミ捨て場の視察、Mkutano(会議:家の近所のコーナーバーのゴミ問題)、今期の県庁の活動計画書の解釈(辞書で単語調べ続けてる・・・)、病院内の視察(病気で新規に来た人の状況把握の付き添い。)などでした。
何かと酷い状況、日本では考えられない状況を目にすることにはまだ慣れませんが
徐々に出来ることから改善していきたいと思います。

まだ、大きく行動には移れていませんが、現場の状況把握、問題点の洗い出しをしっかりして行こうと思います。
今日は朝から衛生携帯電話(緊急時連絡用)のアンテナ等を先輩隊員から引き継ぐことになっているので、今日はこの辺りで☆