2010年5月25日火曜日

Hamia(引越し) (5月24日)


入居しましたぁ!

土日返上で家具の修理、掃除、電気会社、水道会社、大工との格闘も終え入居に至りました。
とは言っても、まだ修理箇所は多々あるものの、電気、水も通りベットもあるので生活は出来ます。
写真は寝室を撮影したものです。
少しは絵になってますか?

ただ、床はうちっ放し?のコンクリートにペンキが飛び散ってて変な模様で凄い汚いけど
何故か落ち着く・・・。何なんでしょう、貧乏性?


今、タンザニアは夜の23時30分ですが、さっきまで、寝室の整理をしていました。
電気があるうちに、片付けないとね。
そして今日は昼から?断水しており、シャワーを浴びることなくパソコンを叩いています。涙
少しは涼しくなってきましたが、まだまだ残暑の厳しいバガモヨ。

でも、お隣さんに
今水使えるか聞いてみると、やっぱり使えていない様子。
困った俺を見かねたママが、バケツを持って来いと、
持って行くといっぱいになるまで溜めておいた生活用水を俺に分けてくれました。

重そうに運ぶ俺に、持って行ってあげようか?って、優しすぎる・・・涙
もちろん、自分で運びましたが。

このブログを書き終えても水がでないなら、それを使ってチビチビ水浴びします。
水って大事だ。
手も洗えない、歯も磨けない、トイレも流せない。洗濯も出来ない。
タンザニアの水は飲み水にはならないけど、大切。

そして日本は本当に凄いと思う。
水、電気、インフラ、物の品質、まぶしすぎる・・・
頑張れタンザニア!


これから色々生活用品を揃えていかねばなりませんが
まずは多きなふたつきのポリバケツを買ってきました。命の水を蓄えるために!

今の夢は、温かい湯船に浸かって「あぁ~」って言いたいです。
本当にそれだけ!

次蛇口をひねった時、どうか水が出ますように。

2010年5月22日土曜日

Rafiki(友達) (5月22日)

Rafiki(友達)

家は未だに完成しておらず、ゲストハウス住まい・・・。 Pole(お気の毒に、可哀相に)

以前も紹介した格安のゲストハウス、しかし今回は贅沢をして・・・
部屋にトイレとシャワーが完備されています。そして照明が少し明るい!
そして気になる値段は、7500Shilingi。(日本円で約500円、安すぎる!)

そしておまけで、蚊は殺し放題!(ストレス解消?)
殺さないとマラリアになる可能性大です!
先週もバガモヨに住むイギリス人ボランティアがマラリアになったとのこと。Hatari(危険)

いったいこいつらは何処からやって来るのでしょうか・・・。
昨日の夜、この部屋で20匹は殺したはずなのに、部屋に戻ってくると出てくる出てくる。汗


そう、20日からバガモヨに入り、家の修理、電気、水の確保に関する活動を行っていました。
隊員としての活動は未だ行えていないまま、タンザニアに入り60日が過ぎようとしています。

昨日は一日中、カウンターパートのシェドラック君と水道会社と電気会社と県庁を行ったりきたりしていました。そのお陰で、何とか電気と水の代金支払いを済ませ、今日(土曜日)から使えるようになるはず(予定)?です。でも、嫌な予感がするのは何故でしょう・・・。

そして、今日は土曜日で休日のはずですが早く入居するために
明日、清掃会社とカウンターパートと共に家の掃除に入ります。
家の画像は、また落ち着き次第掲載していきます。


そうそう、有難いことにまた友達が出来ました。
彼の名前はナカセンガー、イギリス人ボランティア(UNV)です。
彼もボランティアとして県庁に勤務している、近い立場の良き友達であり良き理解者です。
先輩隊員の親友でもあり、俺も何かとお世話になっています。

昨日は男二人、バガモヨの海(インド洋)で泳いできました。
もちろん、言葉はスワヒリ語と英語のみ。本当に分からない時は日本語とジェスチャー・・・
しかし、意外に通じている?(たぶん伝わっているはず。伝わっていて欲しい・・・)
質問に対する答えは単語のみの事が多いけど、それでも彼は理解してくれて
カタコトの英単語をスワヒリ語に直してくれます。

シェドラックも同じです。彼らと俺の苦労は当分続きそうでが
これも楽しみながらやっていこうと思います。

今はまだ家も落ち着いていないので
サッカー(中学生グループ)や孤児院、芸術大学(音楽)などへは行けていませんが
自分の出来る範囲で色々な人たちと繋がっていきたいと思います。
近所に一つHIV患者、孤児院を支援するNGO団体も見つけています。


こちらは今、朝の7時30分です。
そろそろ、家の掃除が始まる時間なので今日はこの辺りで。

2010年5月16日日曜日

MOYO(心)


今日は日曜日。
家の修理はまだ終わらず、職場は汚職事件でバタバタ。 Pole




そんな中、今日も妙な巡り合わせがあった。

ダラダラ(乗り合いバス)に乗って移動していると
イスラム帽子を被った青年が気さくに
Mambo? 調子はどうですか? 
Poa! Na wewe?  いいよ!君は?



Unatoka wapi? どこから来たの?
Ninatoka Okayama katika Japani.Okayama ni karibu ya Hiroshima.Unajua Hiroshima.
日本の中の岡山からだよ。岡山は広島の近くだよ。広島は知ってる?

Mimi ni mfanyakazi wa kujitolea wa JICA.
Nitafanya kazi ya elimu ya mazingira kuhusu takataka katika Bagamoyo.
Mimi si mtalii. 

私はJICAボランティアで
バガモヨでゴミについて環境教育を行います。
観光客じゃないよ。




そんな、いつも初対面の人たちと交わす何気ない会話だった。
でも、今日の彼は多くの想いを俺にぶつけてくれた。

彼の名前は Shadhir Zaidan君
アラビア語の本にお金を挟み胸ポケットにそれを入れていた。
彼はKivahaと言うウランディーチの近くにある町に住んでいて職が無く
炭を売る手伝いをして何とか生活をしていると言っていた。


俺の活動範囲、生活する町バガモヨから西に数十キロ行った所にそのKivahaと言う町はある。
彼はスワヒリ語とアラビア語、カタコトの英語を話せるようだったが
会話をする中で多くの問題、弊害があった。語学力。
いつもの事だが、途中で乗り合わせた生きた鶏を鷲掴みして乗り込んできた男性も交じり話は続いた。


もちろん、彼も日本が話せるわけではないが、彼よりも流暢な英語とスワヒリ語でShadhir君の言葉を俺に伝えてくれた。

俺が理解するまで何度でも丁寧に同じ言葉を繰り返してくれた。

自分の理解がどこまで正しいのかは分からないが

彼は
自分の町には助けが必要です。それを見に来てほしい。
町には仕事も無く、環境も悪い、あなたが必要なんです。
そう言って彼は少しクタクタになったハンカチで涙を幾度も拭っていた。

俺は、それをただ辞書とノートを片手に聞いてあげることしか出来なかった。
それを見つめる御婆ちゃんは彼や俺を見ているようだが、もっと遠くを見ているようにも見えた。

嘘はつけない、正面からぶつかってくれている彼に妙な期待を持たせて裏切ることは出来ない。
そう思い、俺は分からない単語を辞書から拾いながら彼に自分の想いを伝えた。

Ninataka kuona mji wako.
Rakini,ni lazima nifanye kazi ya elimu ya mazingira katika Bagamoyo.
Mimi ni mfanyakazi wa kujitolea mpya wa JICA. Mimi ni mtu mdogo mdogo katika JICA.
Kwa hiyo,siwezi kuahadi,lakini ninataka kuona mji yako na maisha yako.

私はあなたの街を見たいです。
しかし、私はバガモヨ(の中)で環境教育を行わなければなりません。
私は新しいJICAボランティアで身分は低いんです。
だから、約束は出来ません、でも私はあなたの町と生活を知りたいです。

それを聞いた彼はそれからも何度も涙を拭っていた。
何とかしてあげたいが、自分の立場、無力さが辛く俺も必死で涙をこらえた。ただ悲しかった。

ただ、彼の住む町の近くにも隊員が理数科教師として配属されていて、環境教育活動を一緒にしていきたいと言ってくれたのを
思い出し、それも彼に伝えた。
直ぐに何かをして変えれるわけではないが、何かのきっかけを早い段階で提供できればと思う。

俺の活動はまだ始まっていないが、俺の活動を必要としている人たちがいることを初めて肌で感じた。
上手く表現できないが、ショックだった。

ただ、臆した訳ではなく、何か大切なものを思い出したような、そんな感覚。

職場の上司が逮捕されて
家が修理されていないくらいで
継続できないモチベーションではやっていけない!

俺はただの期限付きのボランティアかもしれないが
人として自分に出来ることをしっかりやっていきたい。

そして彼らから多くを学び、俺の経験を彼らに伝えて行きたいと思う。


今日も家向かいの先輩隊員から連絡があり
日曜日にも関わらず、家の修理が進んでいるとのこと。
赴任は早くとも週末になると思う、タンザニアの同期より三週間遅れての赴任となるが

いつも通り、自分のペースで進めていこう。
焦って行動して大切なものを見落とさないように。
POLE POLE。(のんびり行こう。)


写真のメモは、今日のダラダラの中でのやり取りの一部です。


これから、キリマンジャロふもとのモシから研修を終えて戻ってきた
同期の看護師部隊と一緒に晩御飯の準備をします。タンザニアは今、夕方の17時30分です。

俺は今日も元気です。
皆も元気にしてるのかな?   今日はこの辺りで。

2010年5月13日木曜日

着工


少し日が空いてしまいましたが

再びバガモヨに行ってきました。


前回投稿した通り、我が家の改装工事は未だ行われておらず

何も変わっていませんでした。(5月11日)

屋根の上に折れた大きな木の枝が乗ったまま、窓ガラスはわれたまま・・・ Pole。


そして、火曜日にプワニ州バガモヨのTOPであるムクルゲンジ(mkurugenzi)のサイランガさんと会ってきました。

日本で言う、県知事の様な人です。(多分・・・)

会うまでの手順は

JICAから家の修理、受け入れ態勢が整っていないことに対する手紙を出してもらい

数日後、彼の携帯番号を受け取り

直接ムクルゲンジに電話し片言のスワヒリ語でAPをとり

そして面会。

そして彼は、ムクルゲンジに就任してまだ間もなく、JICAボランティアを受け入れたことが無いとの事で状況を分かっておらず。。。

先輩隊員と同僚のシェドラックと一緒に、自分がバガモヨに来た理由、家が修理されていない状況などを話し合い

再びダルエスに戻ってきました。


そして、バガモヨのご近所さんの先輩隊員から連絡があり

昨日業者らしい人たちが視察に来てて

今日から本格的に工事が始まったとのこと。

着工してしまえば早いので、来週末には赴任できると思います。


同期は4月30日から赴任しているので3週間遅れにはなりますが。

焦らずマイペースに進めて行きたいと思います。


そして、今回赴任が遅れた原因、受け入れ体制が整っていない理由は

俺の直属の県庁保健課のボス、キテンゲさんは保健課内の使途不明金の件で裁判を受けており

(4月23日頃に逮捕されたとの事。。。)

県庁保健課はボランティアの受け入れどころではなかった様でした。

そして、その裁判はまだ続いており、未だに直属のボスとは会えておらず・・・Pole。


今回の受け入れの遅れには色々な要素が重なっており

これからの活動もどうなるか分かりませんが

まず対象となる町、人たちを知ることから始めていこうと思います。


ふぅ。

Pole pole.


その間も色々な人と知り合ってて何だかんだで毎日楽しくやっています。


日本では考えられないかもしれませんが

バガモヨに滞在している間の安いゲストハウスの素泊まり料金は一泊5000シリング(トイレ、シャワー共同)日本円で350円くらいなのかな。

そんな感じで確実に日本人離れしていっております。 (日本人<タンザニア人)

写真はゲストハウスの中を撮影したものです。

広さは三畳くらいで

ベッド、蚊帳(必需品)、机、椅子、天井の扇風機のみ

でも、意外と綺麗だと思いませんか?

2010年5月3日月曜日

我が家の写真











写真は修理される前(現在)の状態の我が家です。
全体の家が移っている写真
木の枝が折れて屋根に落ちています・・・。
窓ガラス
割れています・・・。(他にもう一枚)
庭ですが
草が生い茂っています・・・。
裏口
バイク置き場で鉄のフェンス付き☆
割れた窓から中を覗いてみましたが
2週間前と何も変わっていない様子でした。
二週間後には引っ越せる状態にしてもらわなければ、頑張ります!

語学訓練時(Jeshi la wokovu)の写真

























今日はネットの状態がいいようなのでタンザニアの様子が分かるような写真を載せたいと思います。

語学訓練時に宿泊していたゲストハウスです。
内装はいたってシンプル。

机、椅子、ベッド(蚊帳付き)、タンス(部屋によってあったりなかったり・・・)
シャワー(水のみ)、トイレのみ。

そして停電も当たり前のように起きていました。
部屋の電気は蛍光灯一本とトイレ、シャワーの豆球一個のみでした。

本赴任


少し日が空いてしまいましたが、時間が出来たので更新します。

4月30日から本赴任となりバガモヨに行きました。
がしかし、俺が入居するはずの家の修理、清掃は全く行われておらず・・・

先輩隊員とカウンターパートに掛け合ってもらって話しを進めたところ
今すぐ来られてもゲストハウス代は払えない。後2週間で家を修理するから時間をくれとの事。
どうなることやら。。。で、本赴任で任地に行ってきましたが、再びドミに戻ってきました。

ただ、悪いことだけではなく現地で友達も出来ました。
ジュマンネ君:写真の彼です。20歳の男の子で音楽とダンス、サッカーと日本を愛するいい奴です。半日買い物に付き合ってくれて
子供たちがダンスの練習をしている場所にも連れて行ってくれて踊りも教えてくれました♪

ドゥラ:グラウンドでサッカーをマジマジ見ていた俺に声を掛けてくれて一緒にサッカーをしてくれた中学生。
今後も一緒に練習をしようと誘ってくれた、ちょっと生意気なガキ大将。

サイードカク:俺がダルで迷子になっていたところを手を引いて道を案内してくれたイングランドのNGOのおじちゃん。
番号を交換していたので夕方にも心配して連絡してくれました。
Umefika MASAKI?  「マサキに着いたか?」って。
(もちろん俺の語学力を理解したうえでの簡単な単語での電話でした。)

今回、家には恵まれませんでしたが、多くのいい出会いには恵まれています。
こんな感じで、多くの人に助けられながら過ごしています。

ただ、この中で思うことは
語学力を上げたい!本当はもっと話がしたい!
言葉が分からず身振り手振り、スワヒリ語、英語の単語だけで話しをたり、もどかしい思いをしています。
赴任が遅れ焦る気持ちはありますが
この2週間は任地に足を運んだり、勉強したり、要領の悪い自分の準備期間だと割り切って過ごしたいと思います。

皆は元気にしてるのかな?

そうそう、先週の日曜日にサッカーの試合に行ってきました。
日本(JICA)VS韓国(KOICA)
チームJICAには JICAボランティア・JICA職員・日本大使館職員・タンザニア人助っ人、ダルエスサラームの大学生(アメリカ人女の子、日本からの留学生)といった多国籍なチーム。
ユウキ君のハットトリックと俺の1得点で途中まで4VS2で勝っていましたが
スピードを活かした縦パスの攻めに試合をひっくり返され4VS7で負けてしまいました。
今回は1得点でしたが、得点チャンスはこの他にも何度かあり、運動量がもう少しあれば・・・ と悔やまれます。
次回までに、バガモヨで中・高校生と一緒に練習して体力をつけなおしてリベンジしたいと思いまぁす♪

では、今日はこの辺で☆