2011年4月1日金曜日
Nimepita mwaka mmoja(1年経過)
タンザニアに入り色々な事がありましたが何とか1年が経過しました。嬉しい反面、複雑な心境です。
今回の東日本大震災が発生したのを知ったのは、通常通り職場で同僚と話をしていた時、JICAオフィスから携帯に「三陸沖にて震度7の地震発生」とメールを受けてからでした。 始めは驚きのあまり、「sanriku」を三陸?山陰?山陽?と困惑しながら日本に電話をしました。
最初に電話を掛けたお父さんの携帯は繋がらず、お母さんとは連絡がつき一安心したものの、前代未聞な地震の大きさ、被害の大きさに日々驚かされています。
地震発生当初は、日本への帰国を本気で考えていました。
協力隊受験の動機は「困っている人の役に立ちたい。」との想いからでした。 そして、協力隊受験中に仕事を辞め、前職での経験を資格にしました。 車両系建設機械(パワーショベル)の整地・解体、フォークリフト、玉掛け。帰国後に何かしらの役に立つと思い自腹で頑張りました。(大型特殊も持っています。)
これらの資格があれば、被災地で何か出来るんじゃないか?今、帰るべきなんじゃないか?そんな自問自答の日々が続き、信頼している調整員とお父さんに自分の思いを打ち明けました。
二人の答えはほぼ同じで、「今の日本は支援を必要としているけど、現場は混乱し関係者以外は入れない状況にあったり、資格があったとしても機械や燃料自体が足りていない。また、自衛隊や海外からの支援が入っているから、今自分たちのやるべき事をしっかりして、今出来る支援をするのがベストじゃないの?支援を受け入れたとしても長期ではなく、1・2週間の短期で入れ替わりで支援を行っている段階だから、今日本に帰っても思うように支援が出来ない状況にある。これから、時間が経って色々な支援を必要とするからその時(帰国後)でも遅くないんじゃないか?」とのことでした。
それから、暫く自分で考えた結果、今自分のするべき事をし、自分に出来る支援(募金)をしようと決めました。(この状況下で国際協力に取り組み続けることに対する疑問、違和感が消えたわけではありません。)
また、今回の地震から多くの事を考えさせられました。 今の自分に出来ること、するべきこと、今後の方向性。
今は日本に帰れないけど、帰国後、更に資格(移動式クレーン、2級土木施工管理技士など現場で役立つ資格・経験)を取って少しは使える人材に成って何かしらの形で日本に貢献したいと思っています。
そして、タンザニアを元気に出来んと、日本も元気に出来んじゃろう? そう、日々自分に言い聞かせて頑張っています。
届かない想いかもしれませんが、日本の1日でも早い復興を心から願っています。
色々考えることはありますが、残り1年、アフリカでしっかり生き抜こうと思います。
今日はこの辺りで。
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