先日の日記に書いたとおり木曜日、同僚に日本の公害問題について簡単ではありますがプレゼンを行ってきました。
プレゼン開始予定時間の10時には、俺と先輩隊員の二人のみ・・・!?
ありえない…。
日本的感覚で言うと、開始の10分前には顔を出していてもおかしくない状況なのに。 誰も来ない。
今回の公害問題に興味を持ったムディはプロジェクターの準備で少し遅れているのは分かっていたが、国が違うとここまで感覚が違うのかと驚かされました。
こちらが彼らを信じて、気合いを入れていただけに力が抜ける思いで・・・。
先輩に公害以外にゴミ問題に関する資料があったので資料を紹介していると、同僚が1人現れたが、お腹が減ってお腹が痛いからチャイ(朝食)にいってくる。
お気の毒に、じゃぁ行ってらっしゃい。また後でね。
と、しか言えません。これも文化・・・。
10時を過ぎて、20分、同僚が二人やってきたので持っている映像資料を披露、そうして待つこと1時間・・・。
以外にも、同僚12人中8人集まりました。初回にしては上出来じゃないのか?初回だからか?
何はともあれ、1時間遅れで会議を始めることに成功。
簡単な自己紹介から始まり、日本に対するイメージが良いのは嬉しいことだが、凄く美化されている様な・・・、そんな間違った認識を腐食するべくプレゼンに望みました。
自己紹介に続き、日本での現場経験の話をして、ゴミの仕分け作業、リサイクルについて簡単に説明。
そしてプロジェクターの起動に戸惑ったものの、何とか映像も見ることができました。
最初は、皆笑いながら見ていました。
当時の首相、佐藤栄作さんの名前がローマ字で表示されると、
OH!SATO!?お前の兄弟か?
うん。違うよ・・・。 と俺。苦笑い
まるで中高生・・・。
しかし、公害の被害者の症状の映像が流れてから彼らの表情は一変。
工業排水、排ガスがもたらす害を目の当たりにしてショックだったようで、皆熱心に日本の公害問題の映像に見入っていました。
上映会が終わってからは、
事前に準備していたアンケートに答えてもらい
その他にも、 何故この様な公害が発生したのか? と言った質問をして、それぞれの意見を貰いました。
今日やれた事は、本当にやりたかったことの半分くらいだったけど、疲れました。
言葉の問題もありますが、使い慣れない単語はただのローマ字でしかなくて言葉としての感覚は無く、感情を込めて伝える! と、まではいきませんでした。 完敗です。
でも、こうなる事は想定内。
それでもこの流れを一回で終わらせたくないと思い、次回も同じ様な会を開けるように、アンケートの最後にこの他の映像情報を記載していましたが、見事に皆食いついてくれました。してやったり♪
そして次回は昔(1960年代)の日本の生活とゴミについて、と病院管理についての話をする事に。 次回も来週の木曜日10時から。でも始まるのはまた11時ころなんだろうな・・・。
オフィスに戻って皆のアンケートにザッと目を通すと、
色んな意見があるなぁ、皆視点が違っていて面白い。
こいつあくびしてたのにちゃんと見てたんだぁ。と思うと笑えてきた。
また、どうなるか分かりませんが来週村に行こうと言われました。勿論、当てにはしてませんが・・・。
そしてJICAから送られてきた後任要請の資料、半年に一回の後任要請の機会ですが、今回は見送る事にしました。
今の職場環境、同僚の仕事に対する意識、上司のゴミに対する意識、それが改善されていない。後任を必要とする状況は十分分かるが、皆の行動、保健課職員が堂々と町にゴミを捨てている状況が改善されていない。
教える側の人が徹底できていないのに何が後任要請だ!
彼らは言い訳を続けたが今回は断る。俺はこんな状況の職場に後任は呼ばないしこの状況はJICAに報告する。
もし後任が必要なら、次の半年後までに皆の意識を変えることが条件だ!
と言い目の前で断りの電話を入れた。
そして、この状況が変わらないなら俺が県庁にも出勤する必要はないと思うし、最悪自分で村に行って協力者をコミュニティから見つけて活動する。
ただ俺が1人で活動して帰る時、誰が俺の仕事を引き継ぐんだ?
県庁の人間がそうなるべきじゃないのか?カウンターパートがそうなるんじゃないのか?
何でカウンターパートがいないんだ?俺は必要ないんだろう?
そして、最悪任地変更も出来ること保健課のボスDMOに継げた。
それは困る、バガモヨはどうなるんだ?何でそんな事言うんだ?
と困惑していた、勿論これらは俺の本心ではない。
このくらい強い態度に出ないとタンザニアでは軽く受け流されるし相手にされない。彼らの状況は何も変わらないだろう。そしてバガモヨのゴミも減るどころか増え続けるだろう。
今後、彼らのゴミに対する意識が少しは変わることを期待している。
来週月曜日に同僚に対しても駄目だしをしていくつもりだ。
任地に入り半年が過ぎようとしている。
始めに自分の中で決めていたこと。
半年は彼らの習慣、行動、意識を知ること、いきなり提案することはしない。受身でいること、我慢すること。
肌の色も違う、言葉もカタコトでしか話せない人、何者なのかも分からない人に何を言われても、それが正しかったとしても言うことを聞きたいとは思わない。
少なくとも俺はそう思うので、それを人に対してするべきでないと思っていたからだ。
でも、そろそろ動き始めていい時期だと感じている。
町の人との面識も出来てきた、語学も少なからず半年前よりかは話せるようになってきた。分からないなりに文脈から言わんとすることが理解出来るようになってきた。
時間は掛かるが簡単なレポートも書けるようになってきた。
そして自分で企画して彼らに日本の経験を伝える場を作れるようになった。
まだまだ足りないと思うが、自分なりに少しずつ努力してきたつもりだ。
全員に受け入れられるとは思わないが、そろそろ自分から働きかけて1人ずつ巻き込んでいこうと思う。
色んな意味でこれからだ。
今日はこの辺りで。
2010年11月6日土曜日
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