2010年11月13日土曜日

Zahanati (簡易病院)








今回はちょっと仕事で行った病院を紹介したいと思います。
俺はバガモヨ県庁保健課配属なんですが本庁ではなく病院の中の事務所に勤務しています。
俺の職場には個人のデスクはありません、なので早い者勝ち!
最近は好んでDMOの部屋の近くのデスクを自分の居場所にしています。

そして事務所の横は一枚の低い壁を挟んで子供が宙吊りにされる日常が繰り広げられています。 ご安心下さい、宙吊りと言っても体重を量る為です。
勿論子供の叫び声が聞こえるのも日常で・・・。


そして今日は久しぶりにドクター、看護師、薬剤師、記録係に混じってバガモヨ内の診療所を巡ってきました。このメンバーは毎週木曜日に人手の足りない地域に診療と物資の補充に動いているメンバーです。
そしてカウンターパート現れず・・・。
そして、7人乗りの車に大人8人・・・、ギュウギュウ詰めの車で出発。

最初に行った所は
Gerezo la wafungwa la KIGONGONI 







何故か、軍服の人が多いと思って辞書で調べてみると、刑務所でした・・・。
オレンジ色の服を着た囚人は200人程度この施設の中に居るとの事。
囚人を撮らないことを条件に所内の撮影は許可されました。
ただ刑務所と言っても見た感じは普通の村で、刑務所の周りは3メートルのコンクリート塀に囲まれて脱出不可能!と言ったことは全く無く・・・、囚人と言っても普通のおじさん達で、新入りのおじさん達はまだ囚人服を着ておらず、私服で
Shikamoo! (目上の人に対する挨拶) Marahaba!(目上の人が返す返事)
普通の流れで笑顔で握手、威圧感もない。
お前は中国人か日本人か? といつもの質問に 
日本人だよ! と答えると そうかそうかと嬉しそうでした。

周りに警備についてくれていたと診察に来たドクター達と一緒なので危害を加えられることはない感じでした。
ただ、ここの現実は受け入れがたいもので、ここの囚人の大半はエイズ感染しているとの事。その確立は50%以上。それが現実。
診療所といっても日本の学校の保健室程度(以下)のもので、衛生的にも・・・。そして診療所の窓の鉄格子には古い手錠が・・・

早速の出だしの悪さに、今日は刑務所の診療所を巡るの? と聞くと 
ここだけだよ!
との言葉に一安心。


その他は、町の診療所で
KIGANGWA
MSATA
LOGOBA




と言う少し離れた所に位置する診療所に行ってきました。

これらは小さいながらもある程度の衛生状態を保った場所でした。

それぞれの場所で必要分の在庫を確認してもらい補充の手伝い。

俺は単独で焼却炉の確認、ゴミの穴の確認、トイレの衛生状態、在庫の整理状況を見るなどしていました。
町に移動するまでの道路周辺のゴミの状況は良くないものの病院周辺は比較的綺麗にされていました。
在庫も薬の量自体数が限られている為、棚の奥の使用期限なども確認しましたがいずれも新しいものでした。逆にこれだけで足りるのか?と言った不安が・・・。




今回はこれと言って改善点があげられるものがありませんでしたが、同僚は毎週刑務所以外の三箇所をメインに診療して回っているので、いつでもおいでと言ってくれたが、今は俺の関われる事はないかな。

また気になる点が出てくれば同行しようと思います。
ただ、3人座る様の席に4人で無理やり座り、車は未舗装道路を走り続け・・・。
朝8時から夜7時までの旅、この日は泥のように床に入りました。

そして今日はカウンターパートが現れ、昨日はどうだった?
まぁ、疲れたけど行けて良かったよ。
と伝えると、来週は3泊4日で巡回するか? と言われ
席はあるの? と確認すると
バイクで村を巡回して回ると・・・。

とても本気とは思えませんが、彼がやると言うならやってやろうじゃありませんか!
未舗装道路、暑さを取り戻しつつあるタンザニア、バイクで村を巡る旅・・・。
収穫がありますように♪

そんなこんなで今朝は掃除、洗濯、バイクのメンテナンスをしましたぁ!



準備はいいが、本当に行くのだろうか・・・。タンザニア人の話は半分以下で聞いておかないと。


今日はこの辺りで。

2010年11月10日水曜日

Soko la samaki (魚市場)












バガモヨ、海に面している小さな港町。
今日はそんなバガモヨの海岸にある魚市場を紹介したいと思います。

バガモヨの魚市場は海岸沿いにあり、毎日多くの魚、イカ、タコなどが獲られています。
中にはイセエビも水揚げされているらしいですが、エビの容姿が苦手なタンザニア人は破格の値段で売っているとか・・・。

そんな魚市場の多くの小屋からは薄黒い煙が上がっております。
これは、獲れたての魚の大半を油でひたすら揚げている為です。
油は継ぎ足しながら使われており、どす黒くなっています。そしてこの煙・・・。

生魚を食べる習慣のないタンザニアでは多くは調理が簡単で長期保存の出来る揚げるのみ!という調理法が好まれます。
そして言うまでもなく生魚は食べられていません。
ダルエスサラームに日本人、アジア人、白人向けに寿司、刺身などを出しているお店はありませがタンザニア人はまず嫌がって口にしたがりません。これも文化。

生魚は勿論手に入れることは可能ですが、漁から返ってくる時間帯に市場近くの浜辺に行けば買うことが出来ます。
魚はバケツに入ったもの、紐で結ばれたセットものなどで売り方は様々。
値段は以外に高いです。
魚一匹1000TSHは安いほうです。普通に2000~3000TSHします。
そして鱗と内臓を取ってもらってもらうと300TSH掛かります。
先日紹介した晩御飯の値段と魚一匹の値段が同じ、もしくは魚の方が高い・・・。
なので、通勤で市場近くは毎日通りますが、普段は魚市場へは行きません。

写真の魚を売っている彼の持っている魚は全部で20000TSH、彼はひたすら「エルフイッシリーニ~!(20000シルだよ~!)」と叫び続けていました。 なかなか大変な仕事です。

そして、その後ろに立つ6階建てのホテルは現在建設中で、11月中に完成予定と聞いているので、来年の1月2月くらいには完成すると思われます。その理由は、タンザニア(文化)だからです。
話は戻りますが、このホテルは地下にはクラブが入り、外にはプール、そして屋上はバーになるとの事、そして夜にはそのバーから対岸に位置するザンジバルの明かりが見えるとの事。
また完成したら夜景の写真を掲載したいと思います。
この屋上に居る時の写真は建設中にも関わらず、スタッフが中を案内してくれた時のものです。正直、海風が強い日は、長居は出来ないかと・・・。夜景は綺麗なんでしょうけどね。


そして、いつか漁師の友達を作って漁に出ようと企んでいます♪
実現したら、こちらもアップしますのでお楽しみに!


今日はこの辺りで。

2010年11月7日日曜日

Chomba cha muziki(楽器)










最近の副業(勿論、無賃金労働です)、それは日本語教師。
とは言っても、日本語の動詞の変化を教えるのは難しく悪戦苦闘しています。
今日も何度天を仰いだことか・・・。難しい仕事です。

最近は定期的に毎週日曜日の午前中に二時間半、バガモヨの音楽一家の住むZAWOSEファミリー家にお邪魔し、ALPONCE君に日本語を教えています。
今日もいつもの様に日本語を教えて帰ろうとしていると、ボーカルとゼゼ奏者のMSAFIRI君がお店の前でマリンバ造りの真っ最中。
色々楽器を見せてもらっていると、ムサフィリ君も来てくれて二人でマリンバを演奏しながら歌ってくれましたぁ♪
至近距離(1m)での生演奏。
一生懸命親指の動きを見ていましたが、早すぎて分からん・・・。
しかも彼らは笑顔で踊りながら、指を見ていない・・・。汗
当たり前ですが、レベルが違いすぎる・・・。涙

暇があれば遊びにおいで、教えてあげるよ。 と二人。

タンザニアに来たばかりの頃は太鼓を習いたいと思っていましたが、今はすっかりマリンバが気になっています。
(最近写真を掲載していなかったので、楽器の紹介もかねて今日は少し載せました。)


俺と一緒に写っているのが俺の生徒のアルフォンス君です。
俺も久しぶりの登場ですね。笑
髪は長くなり、肩の辺りまで伸びています。普段は後ろでくくっています。
当初、スカ(髪を編んでもらうこと)を目標に伸ばしていましたが、編むのに時間が掛かる、編んだ後はまともに頭を洗えない、痒いなどの問題から一度のみの挑戦に終わり、今はどうしたものかと考えながら、ここまで伸びてしまいました。
タンザニア人に切らせるのは問題外、坊主にしたら陽射しで頭皮が痛いらしいのでそれもパス、自分で切るか、友達にお願いするか、このままか・・・。
そして俺の着ているちょっと派手(これでも地味なほうです。)なパンツはキテンゲと言うアフリカの男性が主に身に付ける種類の布を買って、オーダーで縫ってもらったものです。布代、縫い賃込みで一本辺り約10000TSH(約600円)。この他にもシャツなども作ってもらっています。シャツも値段は同じくらいです。

そして楽器紹介です。

彼が持っている楽器はゼゼと呼ばれる楽器です。この楽器は多くの弦が張られています。ギターの様にチューニング可能。弾くだけでも十分楽器として活躍してくれますが、バイオリンのように弾くことも出来る不思議な楽器。
大きさも彼の持っている大きいものから、ウクレレサイズの小さなものまでありとても興味深い楽器です。
俺が持っているのがマリンバと呼ばれる親指ピアノ、これは親指だけを使って金属の棒を弾いて音を出します。これもお土産用?の片手に乗るサイズの物から俺が持っているのが一番大きいマリンバで先代ZAWOSEが生前に作ったとされる貴重なマリンバ。
何と、そのお値段35万TSH(約2万円)。高い!
バガモヨでは贅沢をしなければ1ヶ月から2ヶ月近く食べていける額です。
俺が最近の晩御飯で使う金額は1000TSH(約60円)。何を食べているんだ?という声が聞こえてきそうですが、ちゃんとご飯、牛肉か魚、豆、野菜などがついてこの値段。安すぎる!ちなみにご飯の中には当たり前のように小石がゴロゴロ入ってます。
この他にはムホゴ(芋を蒸したような食べ物)1本50TSH、マンダートジ(ドーナツ)100TSH、魚のスープ500TSH、チャパティ(ピザの生地を油で焼いただけの様な食べ物)200TSH、牛乳300TSH、紅茶100TSH。
ちなみに、バナナ一本の値段が200TSH。卵250TSH。たまねぎ100TSHといった感じの値段です。
一時期、週に三日は自炊をしていましたが、最近安い(ローカルの)お店に外食したほうが安上がりであることに気付き、ほぼ毎日のように外食です。自炊に使う時間も削減できて、スワヒリ語の練習にもなり、断水していても大丈夫!
決して贅沢をしているわけではありません。月明かりの下に長テーブルを一本椅子3つの小さなお店?屋台で食べています。
普通のホテルにあるお店に行って同じ様な定職物を頼むと2000~4000TSHはします。


そして、話は楽器に戻りますが他の写真にあるのがンゴマ(太鼓)です。
小さいものは股に挟んで叩くもの、片手で抱えて叩くものもありますが、主流なのは下にいくつか並べておいて叩くものがあります。全て手で叩きます。


そして、家で暇な時間を見つけて弾くならマリンバかな、ゼゼとンゴマは音が加減できないし・・・。
住宅街で練習するならマリンバ、と言うことで写真サイズの半分くらいの大きさのものをオーダーしようと思います。
大きさが決まったらムサフィリ君が俺のマリンバを作ってくれることになりました。
音は確かに良いと思うんだけど、チト高くないかい・・・70000TSH(日本円で約4000円)。
値切ろうかな・・・。
内心、何食食べられると思っているんだ!観光客じゃないんだぞ!とご立腹気味ですが、音も間違いないし修理にも出せるし、近々ミディアムサイズをオーダー予定です。

任地にも慣れてきて、最近はこんな感じの日常を過ごしています。
サッカー、サファリの話が多く、何をしているんだとのメールを受けていたので、ちゃんと生活、活動しているところを暫く紹介していこうと思います。

そして明日からは激動の活動に移ります。もう遠慮はしないと決めたので。
しっかりバガモヨで暴れ始めようと思います。


では、今日はこの辺りで。

2010年11月6日土曜日

KIKAO(会議)

先日の日記に書いたとおり木曜日、同僚に日本の公害問題について簡単ではありますがプレゼンを行ってきました。
プレゼン開始予定時間の10時には、俺と先輩隊員の二人のみ・・・!?
ありえない…。
日本的感覚で言うと、開始の10分前には顔を出していてもおかしくない状況なのに。 誰も来ない。
今回の公害問題に興味を持ったムディはプロジェクターの準備で少し遅れているのは分かっていたが、国が違うとここまで感覚が違うのかと驚かされました。
こちらが彼らを信じて、気合いを入れていただけに力が抜ける思いで・・・。

先輩に公害以外にゴミ問題に関する資料があったので資料を紹介していると、同僚が1人現れたが、お腹が減ってお腹が痛いからチャイ(朝食)にいってくる。
お気の毒に、じゃぁ行ってらっしゃい。また後でね。 
と、しか言えません。これも文化・・・。

10時を過ぎて、20分、同僚が二人やってきたので持っている映像資料を披露、そうして待つこと1時間・・・。
以外にも、同僚12人中8人集まりました。初回にしては上出来じゃないのか?初回だからか?
何はともあれ、1時間遅れで会議を始めることに成功。
簡単な自己紹介から始まり、日本に対するイメージが良いのは嬉しいことだが、凄く美化されている様な・・・、そんな間違った認識を腐食するべくプレゼンに望みました。
自己紹介に続き、日本での現場経験の話をして、ゴミの仕分け作業、リサイクルについて簡単に説明。
そしてプロジェクターの起動に戸惑ったものの、何とか映像も見ることができました。
最初は、皆笑いながら見ていました。 
当時の首相、佐藤栄作さんの名前がローマ字で表示されると、
OH!SATO!?お前の兄弟か?
うん。違うよ・・・。 と俺。苦笑い
まるで中高生・・・。
しかし、公害の被害者の症状の映像が流れてから彼らの表情は一変。
工業排水、排ガスがもたらす害を目の当たりにしてショックだったようで、皆熱心に日本の公害問題の映像に見入っていました。
上映会が終わってからは、
事前に準備していたアンケートに答えてもらい
その他にも、 何故この様な公害が発生したのか? と言った質問をして、それぞれの意見を貰いました。

今日やれた事は、本当にやりたかったことの半分くらいだったけど、疲れました。
言葉の問題もありますが、使い慣れない単語はただのローマ字でしかなくて言葉としての感覚は無く、感情を込めて伝える! と、まではいきませんでした。 完敗です。

でも、こうなる事は想定内。
それでもこの流れを一回で終わらせたくないと思い、次回も同じ様な会を開けるように、アンケートの最後にこの他の映像情報を記載していましたが、見事に皆食いついてくれました。してやったり♪

そして次回は昔(1960年代)の日本の生活とゴミについて、と病院管理についての話をする事に。 次回も来週の木曜日10時から。でも始まるのはまた11時ころなんだろうな・・・。

オフィスに戻って皆のアンケートにザッと目を通すと、
色んな意見があるなぁ、皆視点が違っていて面白い。
こいつあくびしてたのにちゃんと見てたんだぁ。と思うと笑えてきた。

また、どうなるか分かりませんが来週村に行こうと言われました。勿論、当てにはしてませんが・・・。

そしてJICAから送られてきた後任要請の資料、半年に一回の後任要請の機会ですが、今回は見送る事にしました。
今の職場環境、同僚の仕事に対する意識、上司のゴミに対する意識、それが改善されていない。後任を必要とする状況は十分分かるが、皆の行動、保健課職員が堂々と町にゴミを捨てている状況が改善されていない。
教える側の人が徹底できていないのに何が後任要請だ!
彼らは言い訳を続けたが今回は断る。俺はこんな状況の職場に後任は呼ばないしこの状況はJICAに報告する。
もし後任が必要なら、次の半年後までに皆の意識を変えることが条件だ!
と言い目の前で断りの電話を入れた。
そして、この状況が変わらないなら俺が県庁にも出勤する必要はないと思うし、最悪自分で村に行って協力者をコミュニティから見つけて活動する。
ただ俺が1人で活動して帰る時、誰が俺の仕事を引き継ぐんだ?
県庁の人間がそうなるべきじゃないのか?カウンターパートがそうなるんじゃないのか?
何でカウンターパートがいないんだ?俺は必要ないんだろう?

そして、最悪任地変更も出来ること保健課のボスDMOに継げた。

それは困る、バガモヨはどうなるんだ?何でそんな事言うんだ?

と困惑していた、勿論これらは俺の本心ではない。

このくらい強い態度に出ないとタンザニアでは軽く受け流されるし相手にされない。彼らの状況は何も変わらないだろう。そしてバガモヨのゴミも減るどころか増え続けるだろう。
今後、彼らのゴミに対する意識が少しは変わることを期待している。
来週月曜日に同僚に対しても駄目だしをしていくつもりだ。
任地に入り半年が過ぎようとしている。

始めに自分の中で決めていたこと。
半年は彼らの習慣、行動、意識を知ること、いきなり提案することはしない。受身でいること、我慢すること。
肌の色も違う、言葉もカタコトでしか話せない人、何者なのかも分からない人に何を言われても、それが正しかったとしても言うことを聞きたいとは思わない。
少なくとも俺はそう思うので、それを人に対してするべきでないと思っていたからだ。
でも、そろそろ動き始めていい時期だと感じている。

町の人との面識も出来てきた、語学も少なからず半年前よりかは話せるようになってきた。分からないなりに文脈から言わんとすることが理解出来るようになってきた。
時間は掛かるが簡単なレポートも書けるようになってきた。
そして自分で企画して彼らに日本の経験を伝える場を作れるようになった。
まだまだ足りないと思うが、自分なりに少しずつ努力してきたつもりだ。

全員に受け入れられるとは思わないが、そろそろ自分から働きかけて1人ずつ巻き込んでいこうと思う。
色んな意味でこれからだ。


今日はこの辺りで。

2010年11月1日月曜日

Washirika (協力者)

今週末、今日はタンザニアの大統領選挙の投票日でした。
危険があるかもしれないと警戒しながら移動するも特に危険なし・・・。

友達のお店で話をしても選挙の話で持ちきり、俺の知り合いは皆キクエテ(現大統領)を選んでおり高い支持率を受けているようで続投かな。

そしてこの土日はミニワールドカップ、宿敵韓国戦に参加することは許されずバガモヨで大人しく過ごしていました。

昨日は日本でサーカス(アクロバティック)をしに行った事のある男の子と晩御飯を食べ、今日は朝からZAWOSE(音楽一家)のアルフォース君と子供たちに日本語を教えて、その後1人で海辺のレストランに行くと孤児院MOYO MMOJAの子供たちと見たことの無い黒人男性と白人女性が居てビックリ、誰だったかな~と思いながら軽く挨拶をして近くのテーブルで食事を済ませ、ゴミの資料に目を通していると黒人男性が俺のテーブルにやってきた。
俺は素直に、ごめん、あなたの名前を忘れてしまいました。教えてもらえますか?
と言うと、彼は初めてだよ!と自己紹介をしてくれた。
色々話をしてみると面白い人で、Tシャツのプリントをデザインしている人でコカコーラなどとも仕事をしていてその他には環境に対するメッセージを書いたTシャツなども手がけているとの事。
そして一緒に居た女性はイタリア人で彼女はザンジバルで環境・水問題に関して活動をしているが選挙の影響で治安が乱れる可能性が高い為、対岸に位置するバガモヨに来ているとの事。
俺も県庁で働いているJICAボランティアでゴミ問題をメインに活動していますと読んでいた本と資料を見せると彼女を呼んできてくれた。
イタリア語と英語はちょっと・・・。と思っていると、彼女は1999年からザンジバルに住んでいるらしくスワヒリ語も堪能でした。当然ながら俺よりも。
環境について話をしているとザンジバルのコミュニティに対してコンポスト(有機ゴミの堆肥化)を復旧する活動もしているとの事。
俺の書いた提案書の中にもコンポストの案があり、もしザンジバルに行ったら活動を見せてくれますか?と質問すると、勿論いいよ!と笑顔で答えてくれた。
そして今は大統領選挙の影響を恐れバガモヨに来ているが、戻ればコンポストのスワヒリ語に翻訳した資料があるから必要なら送りましょうか?って。
その後アドレスを交換している時にフと思い出したのが、ザンジバルで活動しているJICA放送隊員が最近ゴミ問題に関してのTV番組を作っていることを伝え、彼女にあなたの事を話して連絡先を知りたいと言ったら教えてもいいですか?と聞くと、それもOK!

今日ほど「スゲー」と「Safi sana!(素晴らしい!)」を連呼した日はないと言う位、この他の言葉が見つからなかった。

もし、家で本を読もうと思っていたなら、海には行かなかった。
もし、今日最初に行った友達が経営しているレストランがやっていたら、彼らの居るレストランには行っていなかった。
もし大統領選挙がなければ彼らはバガモヨに来ていなかった。
もし、孤児院の子供たちと知り合いじゃなかったら、彼らと話しをする機会はなかっただろう。
などなど

突然現れた協力者に、あまりの興奮に、彼らがその場を離れてからも暫く本を読むことに集中できなかった。

何故か最近になって急に俺の周りで何かが動き始めたように色々な人が現れ始めた。

本当にありがたい限りです。

俺は1人では何も出来ない。

でも、多くの人と話をして彼らを繋げていくことは出来る。

改善する方法を考え、アイディアを共有し、その方法を伝えること、気付きに導く場を作ることは出来るのかなと思う。

まだまだ不慣れなスワヒリ語だけど徐々に理解でき始めてきた気がしている。
出来ないながらも提案書を書きまくった成果なのかな?


ただ、いい事ばかり起きないのが(俺の)人生。

夜、いつものお店でパンを買おうと財布を出すと、酒臭いおじさんがお金をくれと言い寄ってきた。
お願いだから止めてくれ!多くの人があなたと同じ事を私に言ってきます。
もし私があなたにお金を渡せば他の人も私にもとお金をくれと言って来るでしょう。
だから出来ません。ごめんなさい。
と下手に出て何度もお願いしたが、彼は俺のメガネに手を出した。

勿論取り返しが、俺も冷静では居られなかった。

止めて下さいって何度も言ったよな?母国語のスワヒリ語が理解できないのか?
何を言おうとお金を渡すだけの支援は俺には出来ない。だから俺はここに住んで皆の助けになれるように活動してるんだ
と怒鳴り声に近い感じで話した。
幸い、顔なじみの店主と通りすがりのお兄さんが仲裁に入ってくれ、俺も頭を冷やす為にお店に入り暫く大人しくしていた。

今日のお昼、友達のレストランが休みで、心当たりのレストランに移動する際に知り合ったペットボトルを拾っていた兄弟(小学生くらい)は俺にお金をくれとは言わなかった。

1Kg1000Tshで売れるペットボトルを一日拾って回って生計を立てている彼らと20分ほどだが一緒に浜辺を歩いて捨てられたペットボトルを拾って回った。
彼らは、俺たちはまた別のところに探しに行くよ、ありがとうと言って笑顔で手を振ってくれた。
両親を早くになくし、姉は居るが働ける状況になく、彼らは幼いながらに自分の生活を自分で支えている。ストリートチルドレン。
そんな彼らでさえ言わなかった言葉を、お酒に酔うお金のある大の大人が酔ったた勢いで口にした
俺に援助をくれ!お金いっぱい持ってるんだろ?と、
そして俺のメガネに手を伸ばしたそんな彼を俺は許せなかった。

手は出していないが、感情を抑えることが出来なかった。
まだまだ子供だ・・・。気をつけます。
最近「チナ(中国人)!フ!ハ!」と言われても怒らなくなったと思ったのに。ふぅ
我慢我慢。


今日はこの辺りで。